~ いじめによる事件 ~ 事件⑧川崎市中1男子生徒殺害事件
はじめまして!いじめ撲滅委員会代表,公認心理師の栗本顕です。私は学生時代、そうぜつないじめを体験して、大学院でいじめの研究をしてきました。
現在はいじめの問題を撲滅するべく、研修やカウンセリング活動を行っています。

今回のテーマは
「川崎市中1男子生徒殺害事件」
です。
今回の目次は以下の通りです。
・事件の概要
・事件の流れ
・加害者たちの背景
・取り調べと裁判
・被害者について
・社会への影響
・メッセージ
いじめによる事件の中で、川崎市中1男子生徒殺害事件を取り上げます。いじめは事件にも発展する危険のあるものです。今まで起きてしまった悲しき事件の全容を理解し、二度と起こらないようにしていかなくてはなりません。その責任が、我々教育関係者にはあります。

事件の概要
川崎市中1男子生徒殺害事件は、2015年2月20日に、神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で13歳の中学1年生の少年が殺害された上に遺体を遺棄され、事件から1週間後に少年3名が殺人の疑いで逮捕された少年犯罪です。
被害者
男子中学生(当時13歳)
加害者
少年3名(当時18歳、17歳、17歳)
殺害日時
2015年2月20日午前2時頃
場所
神奈川県川崎市川崎区
多摩川河川敷
手段
業務用カッターで全身43箇所を切りつけ
死因
出血性ショック死
主犯格の少年の主導により、被害者は1時間あまり業務用カッターで全身を43箇所も切りつけられ、冬の身も凍えるような川の中を泳ぐように命令されました。被害者は川から必死に這い出ると、身体を引きずって23.5メートル進みましたが、生い茂る雑草の上で息絶えてしまいました。

事件の流れ
事件は大まかに説明すると以下のような経緯になります。
2013年7月
被害者が島根県西ノ島町から川崎市に転居しました。
2014年4月
被害者が中学校に入学します。バスケットボール部に所属して熱心に取り組み、いつも笑顔を絶やさない明るい性格でした。
・夏ごろ
被害者が部活に参加しなくなります。
・11月
被害者が年上のグループと関わり始めます。
・12月
被害者と主犯格のBが知り合います。
2015年1月
・1月8日
冬休み明け以降、被害者が登校しなくなります。その後、「殺されるかもしれない」と友人に漏らしていたそうです。
・1月14日
横浜市の駐車場で「LINEの返信が遅い」などとして被害者を正座させて10分以上殴り続ける暴行がありました。この際は別の少年が仲介して収まりましたが、被害者の頬は腫れ上がり、目の周りに大きな痣ができていたとされます。この時から被害者はグループから抜けたいと漏らしていたそうです。
2015年2月
・2月12日
被害者の知人らがBの自宅にその暴行に関しての抗議に訪れました。Bは「被害者のためにこれだけの人が集まったと思い、頭にきた」と後に供述しています。
・2月16日
担任教諭の電話に被害者が出て「そろそろ学校行こうかな」と発言していました。
・2月19日
夜、被害者が母親と自宅で食事をし、最後の会話を交わした後に外出します。17歳の少年の1人が被害者からLINEで連絡が来た際、Bらと一緒にいることを隠して呼び出しました。
2015年2月20日 事件当日
・午前2時頃
多摩川河川敷で惨劇が起こりました。主犯格のBの主導により、被害者は1時間あまり業務用カッターで全身を43箇所も切りつけられました。冬の身も凍えるような川の中を2度にわたり裸で泳ぐように命令されました。
被害者は次第に衰弱していきました。少年らは被害者を放置して逃げ出しましたが、被害者は川から必死に這い出ると、身体を引きずって23.5メートル進みましたが、生い茂る雑草の上で息絶えてしまいました。死因は首の後ろから横にかけてカッターで切られた傷で、出血性ショック死でした。
・午前3時頃
川崎市の公園の公衆トイレから出火していると119番通報がありました。火災現場から見つかったのは被害者の燃え残った衣服や靴底で、加害者3人が証拠隠滅のために燃やしたものでした。3人で口裏合わせもしました。
・午前6時15分頃
多摩川河川敷で通行人が被害者の全裸遺体を発見し110番通報をしました。
・2月21日
神奈川県警察が遺体を被害者と発表し、川崎署に殺人・死体遺棄事件の捜査本部を設置しました。
・2月27日
連日ニュースやメディアで報道される中、当時17歳と18歳だった少年ら3人が殺害の容疑で逮捕されました。

加害者たちの背景
3人の加害少年たちはそれぞれに複雑な家庭環境を抱えていました。
主犯の加害者少年B(当時18歳)
Bは日本人でトラック運転手をしていた父親と、フィリピン人で元ホステスをしていた母親との間に生まれたハーフで、姉が2人いました。
川崎市はフィリピンパブなどが多いことから、フィリピン人ホステスや風俗嬢が多いですが、そうしたフィリピン人のハーフだったBは小学校時代から同級生らに「おい、フィリピン!」と呼ばれていじめられていました。
Bの両親のしつけは暴力を使ったもので、父親は「2回言うことを聞かなければ殴る」ということを実行しており、言うことを聞かないBを殴ったり、顔を足で蹴ったり、6時間も正座をさせることもあり虐待をしていました。母親もそれを止めることは無く、むしろ自らもハンガーなどでBを殴りつけていました。
両親にも暴力を振るわれていたBは家にも学校にも居場所が無く、自宅近所にあったイトーヨーカドー内にあるゲームセンターに入り浸っていました。
地元の知人たちの証言によると、Bは以下のような少年でした。
・酒を飲んで酔っ払うと暴れ出す
・カッターナイフを携帯していた
・昔から年下を子分のように扱う
・弱い者いじめをする
・強い者には逆らわない
・同年代の友達はいなかった
・小学校時代から体格の小さい同級生を舎弟のように連れまわす
Bは定時制高校に入学してから髪の毛などが派手になり、未成年であるが喫煙や飲酒もしていました。原付に乗って鉄パイプで男性を殴って鑑別所に送られた前科もあるとされています。
他にも2年前にBが近隣住民が飼っていた子猫を水に沈めて殺害した、中学時代にキレるとハサミを突きつけた、同級生から金を取った、などの証言もありました。
加害少年C(当時17歳)
Bに付き従っていたCは、同じく母親がフィリピン人であり、同じ境遇にあったBに心の絆を感じて非行グループに入るようになりました。
Cが生まれてすぐに父親が蒸発したため離婚しており、母親は夜の仕事をしながらCとその妹を養っていましたが、ほとんど家に帰らず育児放棄をしていました。
そのため、Cは小学校時代から妹の幼稚園の送り迎えをしたり、夜遅くまで帰らない母親に変わって家の一切をしていました。
母親は日本語が話せなかったため、日本語しか話せないCと妹とは言語でのコミュニケーションが取れず、母親は子どもらを置いて一時帰国したこともありました。戻ってきたかと思えば、頻繁に子ども達をタガログ語で怒鳴りながら殴りつけ、Cはそれに耐えるしかありませんでした。
そして、母親が彼氏を家に連れ込むようになったため、Cは家に居場所を失い、Bらとつるんで夜遅くまで非行に走るようになりました。
加害者少年D(当時17歳)
DはBと対等な関係にあった親友であり、川崎市内の鉄鋼製造工場で工場長を務める日本人の父親と、日本人の母親との間に生まれた子どもでした。
また、5歳年上の兄と、2歳年上の姉を持つ末っ子で、両親は特に育児放棄や虐待などをすることもなく、Dについて「とても大人しくて人見知り」だと思いながらも、意思を通そうとする頑固さがあったため「優柔不断な子どもよりもいい」と誇らしく思っていました。
しかし、Dの頑固さは成長とともに悪い方向に進み、小学校時代に席に座るように担任から押さえつけられた際に爪を立てて反抗し、そうした態度や同級生との喧嘩が絶えず、母親は小学校から中学校時代にかけて5回ほど呼び出しを受けていました。
BとDは裁判で真っ向から対立しており、BはDについて"親友"だと語ったのに対し、Dは「特別仲が良いとは思ったことはない」としていました。

取り調べと裁判
逮捕と取り調べ
2月27日、捜査本部は主犯格とされる当時18歳の無職のB、当時17歳のC、同じく当時17歳のDをそれぞれ殺人容疑で逮捕しました。
当初、Bは「何も言いたくありません」と容疑を否認し、17歳の少年らは「近くにいただけ」「殺した覚えもない」と供述していました。
しかし、供述は次第に変化し被害者の殺害を認める供述を始めます。主犯格のBは被害者を切ったことを認め、動機として「被害者が周囲から慕われてむかついた」と供述しています。
3月6日に捜査本部はBを立ち会わせて殺害現場とされる河川敷周辺を実況見分させました。Bは実況見分の際、現場で被害者に対して手向けられた花束を見て、「箱の中で手を合わせて心で謝った。手を合わせることができて嬉しかった」「すごい(多くの)人が悲しんだんだな。えらいことを(自分は)やったんだと思った」と話していました。
加害者B(主犯格)の裁判
「Bが殺人罪」、「C・Dが傷害致死罪」で起訴されました。
・2016年2月2日 初公判
横浜地裁(近藤宏子裁判長)で行われ、Bは起訴内容を認めました。弁護側の被告人質問で、Bは「被害者を呼び出した後、CとDの前で引くに引けず、『どうすればいいか分からなくなり、雰囲気に流された』」と殺害に至った経緯を説明しました。
最後に「(被害者に)痛い思い、怖い思いをさせ申し訳ない。被害者を忘れず、背負っていく」と述べています。
・2月4日 結審・求刑
検察は懲役10-15年の不定期刑を求刑しました。一方、弁護側は「事件は他の2人の少年と協力したもので、2人から止められることなく引くに引けなくなった。Bは反省しており、更生できる」と減刑を求めました。
また、被害者の両親が被害者参加制度で法廷に立ち、父親は「被害者を失った悲しみは何一つ癒されることはありません。これからもないと思います。私はこの悲しみや苦しみを一生もっていかなければなりません。被害者の命を奪った被告たちを一生許すことはないでしょう」と述べ、母親は「被告に言いたいことはひとつだけです。息子を返してほしい」と述べました。
・2月10日 判決
横浜地裁はBに懲役9年以上13年以下の不定期刑を言い渡し、検察側・弁護側共に控訴期限までに控訴せず、刑が確定しました。
加害者Cの裁判
・2016年3月2日 初公判
横浜地裁で行われ、Cは起訴内容を認めました。検察は冒頭陳述で、「Cは被害者からLINEで連絡が来た際、Bらと一緒にいることを隠して呼び出し、Bの指示で首を複数回切り付けた」と述べました。
・3月7日 求刑
検察は懲役4-8年の不定期刑を求刑しました。一方、弁護側は「Bに脅されて犯行に及んだもので、自発的なものではなく、少年院で育て直せば更生の余地がある」として家裁送致を求めました。
・3月14日 判決
横浜地裁はCに懲役4年以上6年6月以下の不定期刑を言い渡し、検察側・弁護側共に控訴期限までに控訴せず、刑が確定しました。
加害者Dの裁判
・2016年5月19日 初公判
横浜地裁で行われ、Dは事件現場にいたことは認めましたが、首を切り付けたり頭を護岸に叩きつけたりはしていないとして無罪を主張しました。
・5月24日 求刑
検察側は「Dは切り付け行為の発端を作っており、責任は主犯のBに劣らないほど重い」として懲役6-10年の不定期刑を求刑しました。一方、弁護側は無罪を主張しました。
・6月3日 一審判決
横浜地裁は「主導的立場のBにカッターナイフを手渡したDの役割は大きい」として求刑通りDに懲役6年以上10年以下の不定期刑を言い渡しました。
・6月15日 控訴
Dは判決を不服として東京高裁に控訴しました。
・11月8日 控訴審判決
東京高裁は、一審判決を支持し、控訴を棄却しました。
・2017年1月25日 上告棄却
最高裁第2小法廷は上告の棄却を決定し、懲役6年以上10年以下の不定期刑とした一審・二審判決が確定しました。
*事件当時未成年だったBらは獄中で成人を迎え、3人は総合訓練施設で出所後に職業に就くためにそれぞれ違う技能を学んでいるようです。

被害者について
被害者は中学校入学後、バスケットボール部に所属して熱心に取り組み、いつも笑顔を絶やさない明るい性格でした。同級生の女子生徒も「被害者はいつも笑っていた」と証言しています。
被害者はBに万引きを強要され、断って以降Bからの暴力を受けるようになったといわれています。
社会への影響
この事件は凄惨な少年犯罪として諸方面に多大な影響を社会に与えています。
政治
自民党の稲田朋美政調会長は少年3名の逮捕を受け「犯罪を予防する観点から現在の少年法の在り方はこれでいいのか、これからが課題になる」と述べて少年法の見直しも含めた検証が必要との認識を示しました。
文部科学省の対応
文部科学省は省内に再発防止策検討の作業チームを設置し、全国の小中高校と特別支援学校を対象にして日曜日など学校がない日を除いて7日以上連続で連絡が取れず、生命や身体に被害が生じる恐れがある児童・生徒がいないかどうかなど緊急調査することを決めました。
全国調査の結果、7日以上学校を欠席していて連絡が取れず、身の安全を確認できない児童や生徒が232人、不良グループと関わりがあり不自然なあざがあるなど暴行を受けている可能性がある生徒らが168人で、危険な目に遭う恐れがある生徒らは合わせて400人としています。
また保護者の協力が得られず、生徒の状況が確認できないケースも多く、文科省は今回の調査は学校ごとの判断にばらつきがあり精度が高い統計とはいえないと説明したうえで、「調査を通じて生徒の安全状況をしっかり把握してほしい」としています。
週刊誌の実名報道
2015年3月5日、「週刊新潮」2015年3月12日号にリーダー格とされる犯行当時18歳のBの実名と顔写真が掲載されました。
週刊新潮側は「社会に与えた影響の大きさ」や「インターネット上に早くから実名と顔写真が流布していたこと」を理由に実名報道に踏み切りましたが、日本弁護士連合会は「極めて遺憾である」との会長声明を発表し、横浜弁護士会もこの件に対して抗議を発表しました。日本弁護士連合会は「Bの更正と社会復帰を阻害する恐れが大きい」として少年法の意義を強調しています。
メッセージ
川崎市中1男子生徒殺害事件は、少年犯罪の中でも特に凄惨な事件として、社会に大きな衝撃を与えました。
被害者は「殺されるかもしれない」と友人に漏らしていたにもかかわらず、周囲はその危険性を十分に認識できませんでした。また、被害者は冬休み明けから登校しなくなっていましたが、学校や家庭が連携してその背景を探ることができませんでした。
この事件から学ぶべきことは多くあります。子どもたちが発する小さなSOSのサインを見逃さないこと、学校と家庭、地域が連携して子どもたちを見守ること、そして何よりも、いじめや暴力を決して許さない社会を作ることです。
加害少年たちも、それぞれに複雑な家庭環境を抱えていました。虐待や育児放棄といった問題が、最終的にこのような凄惨な事件につながってしまいました。子どもたちを守るためには、家庭への支援も含めた包括的な取り組みが必要です。
私たち教育関係者は、この事件を決して忘れず、二度と同じような悲劇を繰り返さないよう、全力で取り組んでいかなくてはなりません。
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<参考・引用文献>




